2013年5月30日木曜日

「個人として」の「個」が抜けたら…

フランスで、初の同性婚カップルが誕生したそうですね。
ニューヨークでは、小学校5年生の少年が同性婚についてのスピーチをしたそうです。

同性愛や同性婚に限らず、昔からのステレオタイプとは異なる価値観や生き方が尊重され、社会から認められることで
生きやすくなる、やっと私らしく生きられる、と感じる人がたくさんいます。

憲法13条は、このようなステレオタイプでない生き方も含めて、すべての個人をかけがえのない存在として尊重することを、国家権力に対して約束させています。

第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
 (下線は当会による)

  この点、自民党憲法草案ではどうなっているでしょうか?

第十三条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大に尊重されなければならない。

尊重されるものが「個人」から「人」へと変わっています。
なぜでしょう?

ここで、自民党憲法草案の前文を見ますと…
最後の一文。
「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。」

良き伝統と、国家を末永く子孫に継承するために制定される憲法。
その憲法が想定する「人」って…??

前文第3文。
「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、…家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」

自ら国と郷土を守る力を持たない人や、「家族」を持つことができない人。
自分では「家族」という意思で生活を共にしている人が、法制度上想定している「家族」じゃなかったら?
そういう人がいることを、自民党憲法草案はきちんと想定しているのでしょうか?


さらに、同じ13条の中に
「公益及び公の秩序に反しない限り」とあります。
公の秩序、ってなんでしょうか。
昔からのステレオタイプとは違う生き方が、「公の秩序に反する」と言われてしまうことはないのでしょうか?大丈夫??


それぞれの立場から、自分はこの憲法で尊重される「人」なのか?と心配になるような憲法では、
「私も人として尊重されている」と安心することができませんね。

今の憲法13条が「個人として」とわざわざ「個」をつけていることで、
今のところ「私は対象なのか?」と考える必要がないことになっているのです。
どんな人でも、かけがえのない大切な「個人」なんです。
たった一文字「個」という文字の中に、それだけの意味が含まれているのです。

そういえば、「女性手帳」も最近話題になりましたね。


大切な「個」の字を外してしまう、自民党憲法草案。
どんな意図があるのでしょうか??