2017年1月20日金曜日

やや日めくり憲法 20条(信教の自由)



日本国憲法20条

信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。
いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上
の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に
 参加することを強制されない。 

3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的
活動もしてはならない。


 特定の宗教を信仰する人も、信仰を持たない人も、自分らしくありたい。
 日本国憲法20条1項は、個人が心の中で宗教を信じること、
そして礼拝や宣教や奉仕等その信仰を実践する行動をすること、
さらに同じ信仰の人々が共に集まり、行動することを保障しています。
 もちろん、なんの宗教も信じない自由も保障しています。


 戦国時代、豊臣秀吉の家臣であった高山右近はキリスト教徒でした。
 高山右近は豊臣秀吉から棄教を迫られたとき、こう言いました。

「私は日常、心魂を傾けて太閤様にお仕えしてまいりました。
今といえども、太閤様のおためなら、脳髄をくだき、土まみれに
してもいといません。ただ一つの事以外には太閤様のご命令には
絶対に背くものではないのです。その一つの事、信仰を捨てて、
デウス(神)に背けとの仰せは、たとえ右近の全財産、生命に
かけても従うことはできないのです。それはデウスとの一致こそ
われわれ人間がこの世に生まれた唯一の目的であり、生活の目標
でありますから、デウスに背くことは人間自らの存在意義を抹消
することになります。」


 そして右近は、信仰を守ることと引き換えに、領地と財産をすべて捨てました。
 徳川幕府のキリシタン追放令によって右近は日本を退去し、マニラで地上の生涯
を終えました。


 右近にとって信仰は、何にも代えられないもので、信仰を棄てることは、自分と
いうものがなくなってしまうことだったのですね
信仰が「自分らしく生きる」こと、つまり個人の尊厳と切っても切り離せない関係
にあること、それゆえ20条がどれだけ大切な条文か、分かります。


 また、日本国憲法20条3項は日本の戦前の歴史を繰り返すまいとして、
政治が宗教的行為をすることや特定の宗教を支援することを禁止しています。


 明治政府は、明治憲法で「安寧秩序を妨げない限り」信仰の自由を保障すると
規定しました。それは結局、国家の都合でどうとでも制約できてしまうものでした。

 明治政府は国家神道に国教として扱い、天皇を現御神として礼拝の対象と
しました。そして教育勅語などによって学校教育の場で国家神道を国民に浸透
させ、戦争を推し進める精神的支柱としました。
 さらに神社参拝を臣民の義務として、強制し拒否した者を迫害したり、
キリスト教、神道、仏教、新興宗教等を信仰する者たちを弾圧しました。

 当時植民地であった朝鮮半島では、拷問にかけられ死亡した牧師もいました。
また政府による迫害が迫る中で、各宗教が戦争を支援するようその教義を歪ませ
てしまい、本来の信仰を守りとおすことができませんでした。


 戦後、占領軍は神道と政治を切り離す政策を進め、天皇は人間宣言を行い、
天皇の神格も否定されました。


 政治が宗教と結びつけば、個人が信仰を全うできず信教の自由が侵害される、
そして両者が一体となって戦争の機運を高め、突き進めてしまう。
 その歴史を味わい尽くした日本は、二度とこの歴史を繰り返さないように
政教分離を日本国憲法に定めました。

 
 戦争の歴史を繰り返さないためにも、日本国憲法20条は大事なんですね。

 自民党憲法草案20条3項は、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲で」
ならば、国等は特定の宗教行為をすることを認める規定を置いています。

 社会的儀礼でしかないから、習俗的行為の範囲だから、国家がこれくらい
宗教に関わってもいいでしょ…と、というのは、恰好の「言い訳」になります。
 靖国神社への玉ぐし料の奉納…
 
 参拝…

 今また、国家予算で、天皇の即位の礼や大嘗祭が行われようと
しています。

 国家と神道の強い結びつきを感じずにはいられません…。

 またそうやって、特定の宗教と政治が結びついていくのかな、と
不安になります。

 
2015年9月に国会で強行採決された安保関連法制等について、
宗教者たちも抗議の声をあげています。

 歴史を繰り返しまい、何にも代えがたい信仰を守るための宗教者
の不断の努力なのですね。