2017年1月2日月曜日

やや日めくり憲法 12条編



憲法12条は、2つの文章からできています。


日本国憲法第12条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によって、これを保持しなければ
ならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであって、
常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

(①②はあすわかがつけました)



②のほうからご紹介しますね。



【人権を制約するリクツ:公共の福祉】

昨日、人権という考え方がでてきたことをご紹介しました。

「人権と言えば最強!?なんでも守られる!?」

…かというと、そうではありません。


たとえば、AさんがBさんのことを、たくさんの人の前でバカだアホだと
罵ったとしましょう。Aさんにとっては「表現の自由」を使ったことになり
ますが、Bさんにとっては自分の「尊厳」「人格権」が傷つけられたことに
なります。

 このように、誰かが人権を使うことで、ほかの誰かの人権を害する場合には、
その人権を制約することができる。「公共の福祉による人権制限」とは、伝統的
にこのように理解されてきました。


改憲したい人たちからは、「権利ばかり主張して義務を果たさない」とよく
言われます。でも、この人たちが言う「義務を果たさない」って、具体的に何の
ことを言っているんでしょうか? 
 少なくとも自民党改憲草案は、何も具体的に説明してくれていないんです。

 この考えは、逆にいうと「義務を果たさない人の権利は守らなくてかまわない」
ということになり、生存権の場面でいえば「勤労の義務を果たさ(せ)ない人は
飢え死にしてもかまわない」という考えにつながります。
 これって、とても怖いと思いませんか?



【不断の努力が必要】

まあ公共の福祉で制限があるといっても、

「憲法があるから人権は守られる!やったー!」

…かというと、やっぱり違います。


たとえばえん罪事件。警察に逮捕されたり刑務所に入れられたりというのは、
国家による人権侵害の典型的な例です。実際に犯罪をおかした人であれば、
罪を償うために身柄を拘束されるのは仕方ない面もあります。
 が、これがえん罪であれば、まったくの理不尽ということになります。

 現在の日本の刑事裁判では、弁護人や被疑者・被告人が、松本潤さんのドラマ
「99.9」に描かれたようなものすごい努力を積み重ねなければ、無罪を勝ち
取ることができない現実があります。

 でも、刑事弁護人や支援者がこういった努力(不断の努力)を重ねることで、
無実の人が釈放されたり、警察・検察が横暴な捜査をするのを防いだりすること 
ができます。


 「不断の努力」を、私たちは「普段の努力」と言い換えることがあります。

 油断すると人権や自由はすぐになくなってしまうんだと、この自由にモノが
言えなくなってきている今、あらためて覚えておきたいと思います。





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