2018年4月5日木曜日

その「伝統」、尊厳よりも大事? 「土俵と女性」編



 土俵上で倒れた市長に駆けより、救命処置を施す女性に対し、
「女性の方は土俵から下りてください」「男性がお上がりください」の
アナウンスが流れたとの報道。
● 救命中「女性は土俵から下りて」 大相撲巡業、市長倒れ(京都新聞)
 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180404-00000065-kyt-l26 

 救命より「伝統」。そこまでして守りたい「伝統」は、守る価値があるの
でしょうか。女性は穢れた存在だという差別意識を「伝統」というマジック
ワードで許し、温存し続ける「公益」財団法人日本相撲協会の意識を問わず
にはいられません。

 「我が国の伝統」「わが校の伝統」… 
 なにかおかしい状況があっても、「伝統」という言葉が魔法の呪文のように使われ、
その「おかしさ」を無批判的に許してしまうということが、頻繁に見受けられます。
「伝統」なのだから、の一言で疑問や怒りを押しつぶしてしまう…それは社会にとって
健康的とは思えません。
 昔から続く、受け継がれてきたことは、それなりに理由があるのでしょうから
尊重されてしかるべきだ、という基本路線は維持してもいいでしょう。
 けれども一歩立ち止まって、「昔から続いているからといって、すべていいこととは
限らない」くらいは考えてもいいのでは。
 伝統を受け継ぐために私たちが生きているわけではありませんし、すべて『これから
も続けていかなければならない』という思い込みからは卒業して、受け継ぐことによっ
て誰がどう幸せになるのか、なにが発展するのか、受け継ぐ価値があるのか、あくまでも
現在を生き私たちの尊厳、私たちの社会の発展を考えて判断すべきことが、けっこう
あるはずです。

 その最たるものの1つが、「女は土俵に上がってはいけない」だと思います。
 (そもそも「伝統」の定義や条件から考えるべきことのようにも思えますが)
守るべき価値のない「伝統」は「因習」と言い換えていいのでは。

 いつまでも「そうはいっても伝統だからね」の一言で、「女性は穢れた存在」と
いう差別意識を温存させることで、相撲になんのメリットがあるのか。
 それは今ここに生きるすべての女性の尊厳をかなぐり捨ててまで守るべきものなのか
…なんて到底思えません。