朝鮮学校を無償化の対象外にする差別的取り扱い


 反差別と平和の祭典の真っ最中に、最高裁が非常に差別的な

判断を下しました。

 高校の授業料を実質的に無償化する国の制度で平成25年に

朝鮮学校が対象外にされたのは差別的だとして朝鮮学校と元生徒

たちが、国による判断の取り消しや賠償などを求める裁判が全国

で起こされました。今回、最高裁はこの原告の上告を退け、原告

の敗訴が確定しました。。。


● 朝鮮学校の授業料無償化訴訟 最高裁上告退ける 全国すべて敗訴 (NHK)

 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210729/k10013167661000.html


 高校無償化法に基づいて申請した、朝鮮学校以外の外国人学校

(インターナショナルスクール)は、適用対象とされています。

政治的理由で朝鮮学校だけ対象外にする措置は、日本に住むすべて

の子どもの教育を支援する、という高校無償化法の趣旨から外れる

差別的な取り扱いです。


 何の罪もない子どもたちの「教育を受ける権利」を侵す行政、

それを後押しする司法。このような差別的判断が「反差別と平和の

祭典」の裏で出るグロテスクな光景に言葉を失います。

 すでに国連「子どもの権利委員会」からは「ほかの外国人学校と

同じように扱われるべきだ」と見直しを勧告されています。

子どもの権利条約を締結しながら破り居直ることは、国際協調主義

にも反します。

 子どもたちの人権を主張するだけで「反日」「国へ帰れ」などと

ヘイトを浴びせるレイシズムには、軽蔑に値します。



<あすわかtwitter>

 https://twitter.com/asuno_jiyuu/status/1420687282625912842?s=20


 https://twitter.com/asuno_jiyuu/status/1420733714217148422?s=20


 https://twitter.com/asuno_jiyuu/status/1420739608170569732?s=20


 

市民の目と耳を開かせる報道を


 五輪が開催されたからといって世界は一時停止にはなりません。
政治も社会も動いてるし、課題は山積したまま、疑惑は疑惑のまま、
国会は閉じられたまま、ウイルスの感染拡大は深刻化しています。
マスメディアはどうか、本来の報道の枠を、五輪の広報に割かないで
下さい。市民の「知る権利」に応えてください。


 マスメディアが五輪一色になれば、「コロナ禍のことや政治の問題は
忘れて楽しんでいいんだ」という空気になるのは当然で、メダル争いや
美談で高揚感やナショナリズムがあおられるのと相まって、市民は多か
れ少なかれ思考停止になります。今までにない命や暮らしの危機、貧困
の広がり・深まりの危機にあるこの国で、なによりも先に報じなければ
ならないことは、決して、メダル獲得の速報でも師弟の美談でもない
はすです。。。


 五輪での選手の活躍は報じるにしても、「しかし忘れてはいけない問題が
ある」と国民の耳と目をしっかり開かせる報道が、求められます。



都知事「自宅も病床のような形でやって頂く」


● 「特に1人暮らしの方は自宅を病床のような形で」

         都内の新規感染者数過去最多で小池知事<新型コロナ> (東京)

 https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/119947?__twitter_impression=true


 小池都知事の言葉に、震えます。

「病院の病床を、いかにして効果的に効率的に生かすかが鍵になる」

「特に1人暮らしの方々などは、自宅も、ある種、病床のような形

でやっていただくことが、病床の確保にもつながるし、その方の

健康の維持にもつながる」


 都知事は、自宅療養者の健康状態を確認する体制も整えている、と

言った上で上記発言をしましたが、その体制がどれだけのものであろ

うと、「自宅」は「医療機関」ではありません。

 行政による医療の拒否であり、病む人の放置であり、棄民の宣言だ

といっても過言ではありません。

 自ら都立病院や保健所を削りに削って、さらに削ろうとしている上

で自宅を「病床」にカウントしようとする。サディスティックとすら

思える「命を守るつもりはない」という姿勢は、憲法と対極にあります。


首相五輪「中止の選択肢ない」


おとといのやりとりですが…

● 菅首相 五輪「中止の選択肢ない」
 東京のコロナ感染、最多の2848人も (東京)




Q.「感染は拡大している。中止の選択肢はないのか」
A.「人流は減っている。そこ(中止)はありません」


 記者は感染拡大の心配から五輪中止の選択肢について尋ねたのに、
この噛み合わなさ。
 首相が五輪しか頭にない(人命が最優先ではない)からこそ起きる
現象です。
 感染が拡大している(医療現場が崩壊しかかっている)現実から逃げ、
非論理的ななにかを返す…。


 どれだけ犠牲が増えても中止せずに「成功した」と言い張るつもり

なのでしょうか。その姿勢に、命と暮らしを後回しにされ、軽んじられ

た「この地に生きる市民」として、恐怖と怒りを感じざるを得ません。 

「COVID-19に負けたということは世界に知らしめたくない」 虚栄心💧

 

 拡大し続けるパンデミックの中での五輪。

 小池都知事がBBCの単独インタビューに応じています。


● 小池都知事にBBC単独インタビュー

       五輪開かないのは「より悲しいこと」 (BBCNEWS JAPAN)

 https://www.bbc.com/japanese/video-57884080.amp




 「ただ一方で何も開催しないということはより悲しいこと」

 「COVID-19に負けたということは世界に知らしめたくない」

 ほんとに言ってますね。。。


 なぜ、都知事の個人的な意地・執着・虚栄心が、都民の命や

暮らしより優先されなければならないのでしょう?

 そもそも、感染拡大防止のために中止することを、勝手に

「敗北」と捉えることが間違いなのではないでしょうか。

勝手に「負けられない勝負」という設定にして、都民(というか

この国に生きる人々)の命・健康・暮らしをないがしろにする。


 行政は、憲法に忠実に政治をすればいいのです。

 そこに生きる人の命や暮らしを万全に守れてなおかつ余裕が

あって初めて「じゃあ、万全に守れてることだし、余裕があるから

五輪開催しようか」という順序のはず。

 五輪至上主義で突っ走ることなど、だれが望んでいるのでしょう。


<あすわかtwitter>

 https://twitter.com/asuno_jiyuu/status/1417119138393194497?s=20

 

小山田氏を解任しなかった五輪組織委員会


 ミュージシャンの小山田圭吾氏が五輪開会式の楽曲担当を辞任しました。


● 組織委の”任命者責任”求める声続出…

         『留任方針』直後の小山田圭吾さん辞任表明で(中日スポーツ)

https://news.yahoo.co.jp/articles/0a789f55cab4776da1c545d4a2dfbe93f2eed6f4

 


 すでに報じられているとおり、小山田氏が激しい暴行と性暴力を

雑誌インタビューで得意げに語ったのは昨日とか去年とかではなく、

25年前です。ファンの間では周知の話で、少し調べれば分かること。

 開会式を作り上げるチームメンバーの人選の際、五輪にふさわしい

人権感覚の持ち主なのか調べなかったのであれば、いかに組織委員会

が五輪憲章を軽視しているか(人権の視点がないか)がよく分かり

ます。

 調べなかったのではなく、調べた上で加害を知りながら「問題なし」

と判断したのであれば、やはり組織委員会の人権感覚はすさまじく

ひどい、という、同じ結論です。

 

  

人権より「家族の一体性」?


 日本社会での、夫婦や家族の多様性について。多様性という言葉は

便利ですが、要は人権や差別の問題です。

 政権与党と極めて懇意な関係にある「国家基本問題研究所」の

副理事長は、そうしたものを無視して「家族の一体性」を守るべきだ

と語っています。


● 「家族の一体性守るべきだ」

                国家基本問題研究所の高池副理事長 (毎日)

 https://mainichi.jp/articles/20210713/k00/00m/030/391000c



「日本の家族の原則は、異性同士の夫婦が『家』を継いで子ども

を持つことです。根底には、明治憲法下の旧民法で規定された、

戸主が一家の頂点に立つ『家制度』の意識があり、戸籍における

夫婦同姓が、家族の一体性を示してきました。」


 仮にその「原則」が本当にあるとして、何故その「原則」に縛ら

れないといけないのか、ですよね。「原則」が“個人の尊重”という

根源的な人権思想と相容れないなら、変えようという話です。

が最優先です。

 

「日本では現在、『選択的夫婦別姓制度』の導入を巡る議論が注目

されていますが、これについては反対です。夫婦が別の姓を名乗る

ことで、家族の一体性が失われる可能性があるからです。

通称の使い勝手を良くするなど戸籍の記載以外で不都合なところを

直せば、それですみます。」


 姓を奪われる人権侵害や性差別を放置してまで、何故その謎な

「家族の一体性」が優先されなければならないのか、何も答えて

いません。姓が一緒でなければ愛情が育めないカップルは同姓に

すればよいし、それぞれの姓のまま家族になりたいカップルは別姓

を選ぶ、という誰も不幸にならならい制度を反対する理由は、謎の

ままです。それまで自分のアイデンティティの一部であった姓を

失う苦しみは、通称使用では治癒できません。


「同性同士の結婚は認めるべきではない。パートナーとして一緒に

暮らすのは問題なくても、結婚は異性同士がするものであり、夫婦

が戸籍上、同姓となり、子どもを持つことを家族と呼ぶべきなのです。

この観点から、同性カップルが結婚して同じ姓を名乗ることは家族

の原則から外れます。」


 自分が固執する「あるべき家族」と異なる人々を徹底的に排除する

狭隘な考えは、憲法と対極にあります。子どもがいないすべての夫婦

への冒涜でもあります。このような価値観の団体と共鳴し合う政権

与党の政治に、差別のない社会を目指す政治は、期待できません。

 

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