だれもが自由にものを考え、学び、発信できる社会は、人が尊厳ある
存在として自分らしく生きていく上で不可欠で、民主主義社会にとっても
前提条件です。しかし、政府与党が強硬に成立させようとしている国立大学
法人法の改正案は、その自由な社会を大きく壊しかねないものであることを、
ご存じですか。
まず最初に、「学問の自由」と「大学の自治」についておさらいします。
そもそも学問研究というものは「本当にそれで正しいのか?」と疑問を
持つことに本質があるので、研究者が権力や政策を批判することは至極
当然のことです。権力が自己に都合いい研究しか許さない介入をして
「疑問を声に出してはいけない」社会になれば、文化も学問もおよそ発展
などありえず、滅びます。
学問の自由(憲法23条)は、単なる「研究者の研究する自由」には
とどまりません。世界の真理を探究する研究者たちが切磋琢磨し合う
コミュニティの活動に政治権力は口出ししてはいけない(自律性を確保
する)、という制度そのものを保障した条文です。これを難しい言葉で
いうと「大学の自治」といいます🖊
個々の研究や発表の自由は、思想信条の自由(19条)や表現の自由
(21条)でも保障されています。研究者たちが批判・検証し合い「知」
を蓄積していくプロセスそのものが、文化や科学の発展あるいは国民の
福祉にとってとても大事です。政治権力が「その研究はムダ/この学者は
有能」と介入してはいけないのです。
日本学術会議(日本のナショナルアカデミー)も学問コミュニティであり
「大学の自治」が保障され、数年前に大問題となった(いまだに政府が詳細
を語らず逃げている)会員の任命拒否はまぎれもなく「大学の自治」を
おびやかすものです。
そして今、政府与党が成立させようとしている国立大学法人法の改正案は、
国立大学法人の運営に政治権力が深く介入する仕組みを作ろうというもの
なのです。これは、大学の自治を壊します…。
改正案では、大学の運営方針を決定する合議体の設置を義務付け、その
構成員は半数が学外者で任命には文科大臣の承認が要ります。これでは、
文科大臣(政府)の意向に沿う者を大学の運営にあたらせ、学内の研究者・
学生の意見を無視できる体制になりかねません。
● 大学自治を脅かし、学問の自由を奪いかねない「国立大学法人法改正案」の
問題点と法案可決までの異常なスピード感 (集英社オンライン)
<一部引用>
文科大臣が納得しない人物の任命拒否が可能になる。これはいわば、
2020年に大問題となった日本学術会議の任命拒否とまったく同じ構図と
なり、政権に不都合な発言や研究をした人物は任命拒否の恐れが生じる。
これこそがこの改正案が第二の日本学術会議問題になると懸念される理由だ。
<引用終わり>
時の権力が、学問研究を「これはムダ」「これは役に立つ」と仕分けし、
都合の悪い研究を排除できるようになれば、次は「役に立たない/価値の
ない」映画を排除したり、「役に立たない/価値のない」本を排除しかね
ません。大学の自治なんて、私には無関係だ…なんて、決して思わないで
ください。自由を脅かす政治に、無関係でいられる人はいません。
ぜひメディアに向けて「報道してほしい」と発信したり、反対する議員
さんにエールを送ったり、自分にもできる「不断の努力」をしてみてください。