2020年10月9日金曜日

「ノーベル文学賞にアメリカの女性詩人」という報道


 「ノーベル文学賞にアメリカの女性詩人」という報道のタイトルを、

いくつか見ました。

 「女流文学」という言葉が今は死語と化しているように、性別が

重要なファクターではないのに女医、女性弁護士、というようにわざ

わざ「女性〇〇」と表記されるのはなぜでしょうか。まだ「女流」を

使っている分野もあり、なぜ必要なのか立ち止まって考えてくれる

機会があるといいなと思います。


 そんな細かいことどうでもいいじゃん、という声が聞こえてきそうです。

 そうです、細かいことです。

 でも、どんな差別も、細かいことの積み重ねです。

 ちょっとした表現、ちょっとしたニュアンス、ちょっとした態度。

 それが積み重なって、いつのまにか強固なものとなる。

深く深く、社会に染み込んでいく。

 だから、細かいことを、地道に指摘して、ちょこちょこ修正かけて

いかなければならないことだと、考えます。