「ノーベル文学賞にアメリカの女性詩人」という報道のタイトルを、
いくつか見ました。
「女流文学」という言葉が今は死語と化しているように、性別が
重要なファクターではないのに女医、女性弁護士、というようにわざ
わざ「女性〇〇」と表記されるのはなぜでしょうか。まだ「女流」を
使っている分野もあり、なぜ必要なのか立ち止まって考えてくれる
機会があるといいなと思います。
そんな細かいことどうでもいいじゃん、という声が聞こえてきそうです。
そうです、細かいことです。
でも、どんな差別も、細かいことの積み重ねです。
ちょっとした表現、ちょっとしたニュアンス、ちょっとした態度。
それが積み重なって、いつのまにか強固なものとなる。
深く深く、社会に染み込んでいく。
だから、細かいことを、地道に指摘して、ちょこちょこ修正かけて
いかなければならないことだと、考えます。