「国民なら、当然この人の死を悼むものです。」
「国民なら、当然この国を愛するものです。」
愛情、尊敬、哀悼、など権力が心を指図することに、慣れないように。
そこは警戒しましょう。
こういう指図は、多かれ少なかれ「国民なら国のために尽くせるよね」
という“教育的な指導”につながってます。
かならず「国の“偉人”を敬うのは当然でしょ」とか、「国民が自分の
国を誇りに思うのは当然でしょ」とか、「国民として当然」風を吹かせる
声が出ます。というか、すでに出ています。
自由や人権に関する普遍的な価値観ではないところの、「誰を敬うか」
「なにを愛するか」というような自分の喜怒哀楽や感覚を、さも社会の
常識のように押しつけてくる人は、残念ながら、たくさんいます。
それに、流される必要はまったくないし、流されちゃいけない、と、
今一度確認し合いませんか。
権力からの「心の指図」に流されないためには、
例えば「そもそも“偉人”って、なに?国が“偉人認定”した人だけが偉人
なの?それ以外の人は偉人じゃないの?」と素朴な疑問や違和感を大切
にすることは、とても大事です。
また、何を愛し/愛さないか、だれを悼み/悼まないか、は完全に自由
憲法19条)という人権の知識も、とても大事です。