2020年10月15日木曜日

国民への「弔意」の強制に震えます

 

 中曽根康弘元首相の合同葬、ありますね。

 国民がコロナ禍で苦しんでいるときに。税金1億円かけて。

 だれがそれ望んでるの、という意味でも、今やるべきなのか、という

意味でも、間違った決断だと思います。

 それを前提として、さらなるおぞましいことが起きています。

 政府が全国の国立大など教育現場に弔旗の掲揚や黙とうで弔意の表明を

求めているのだそうです。。。都道府県教育委員会にも、加藤勝信官房

長官の名前で同様の通知が参考として送付されました。


● 「思想統制」「国民目線とずれ」

        中曽根元首相の合同葬巡り教育現場から批判 (毎日)

https://mainichi.jp/articles/20201014/k00/00m/040/351000c


 だれの死を悼む or 悼まない、は内心の自由です。

思想良心の自由(憲法19条)としても、表現の自由(憲法21条)

としても、保障されています。

 愛国心と同じで、国家から「悼め」と強制される道理はありません。

 教育現場への強制としてこういう策に出た政府の含意としては、

 日本学術会議の支配をスムーズにできなかった逆ギレで、なりふり

構わず学問研究の世界への権力の統制を進めようという意図もあるで

しょうし、

 弔意を強制される大人の様子を学生・生徒に見せて、「権力から命

じられればおとなしく従うしかないんだ」「権力は心も支配していい

んだ」と学ばせる意図もあるのでしょう。 


 民主主義と180度違う方向への歪んだ、おぞましい発想です。

 おそらく「一国の首相に哀悼の心をもつのは国民として当然じゃね?」

という言説が出てくるでしょう。けれど決して、流されないで下さい。


 繰り返しますが、誰がだれを哀悼するか、しないかは、自由です。