故中曽根康弘元首相の内閣・自民党合同葬の際、文部科学省が全国の
国立大学などに弔意表明を求める通知を出していた件。。。
弔意の強制は許されない、ちう批判に対して、加藤官房長官は
「要望したもので、弔意表明を行うかどうかは関係機関で自主的に判断
されることになる」
と述べ、強制ではないとの認識を示した、とのこと。
● 弔意表明は自主判断 故中曽根元首相の合同葬 加藤官房長官 (時事)https://news.yahoo.co.jp/articles/73c721086b236c78de916d35c5fa8bffdff8ac2c
「お願いしてるだけだから強制じゃない」という言い分は間違っています。
権力が「してほしいなーしてほしいなーしてほしいなーーーー」と
言ってまわるだけで、萎縮や忖度は十分に誘発されます。
してほしいなーーーと言ってるということは、従わなかったら、なにか
印象悪くなるのかな、と、当然思うに決まってるからです。
予算や人事、処分…いくらでも力を持っている権力の言葉は、すぐに刃に
なります。
権力にはその力をよくよく理解してふるまう思慮が必要なのに、
「お願いベースならなんでも許される」と思う、この浅はかさに、愕然と
します。
繰り返しますが、誰を悼むか、悼まないか、は思想良心の自由(19条)
でも表現の自由(21条)でも保障されます。
先だっての記事でも書きましたが、やはり「勲章までもらった功労者に
哀悼の意を表するのは国民として当然」という擁護の声があがってきました。
だれに親しみを覚え、だれを尊敬し、だれを哀悼したいか、自分の頭と心で
考え、自由に決めるのは、人として当然です。