女性候補者がわずか17%と低水準のままである大・大・大問題。
全体的にがっかりですが、特に与党の女性候補者の低さは、あまり
にも目に余ります。
● 衆院選の女性候補、全体のわずか17% 与党は1割未満
法整備追い風にならず (東京)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/137726
<一部抜粋>
各党に女性候補者数の目標設定などを求めてきた上智大の三浦まり
教授(政治学)は、各党での候補の公認について「男性主導の見えに
くい意思決定が続いているのではないか」と指摘。「国会が多様に
ならなければ、多様な声の違いを丁寧に施策に反映できない。各党首
がリーダーシップを取って女性議員増に取り組めるか、民主主義の
あり方が問われている」と注文を付けた。
<抜粋終わり>
女性議員や女性候補者は、男性議員・男性候補者に比にならない
ひどいバッシングの標的になったり、いわゆる“票ハラ”に苦しんだり、
立候補するには経済的・社会的・精神的なハードルが高くそびえた
っています。女性候補者を増やすためには、そういったハードルを
いかに下げるか政党の手厚い取り組みが必須なので、女性候補者の数
はその熱意があるのかないのかわりとダイレクトに反映されています。
「なぜ女性議員でなければならないのか?能力がある人なら性別は
関係ないはずだ」という声は、この議論では相変わらず多く聞こえて
きます。しかし本来、マイノリティ―の声をマジョリティの声にかき
消されないようしっかり国会に反映させるためには、性別でいえば
男女半々であるべきなのに、あまりにも極端に男性議員ばかりな国会
があるわけです。「基本、男性目線でものを考える議員」が圧倒的
多数という歪んだ状態を、「本来あるべき状態」に直すのが、「女性
議員を増やす」取り組みです。ここにおいて「なぜ女性議員でないと」
という疑問は、おかしいわけです。「基本、健常者目線でものを考え
る議員がほとんど」な国会において、障がい者の議員を増やす意味と、
まったく同じです。
単に女性議員といっても、女性の味方とはいえない女性議員だって
いるじゃないか、という声もあります。
たしかに(特に与党には)性差別に無関心な「わきまえた」女性議員
が少なくありません。それは、圧倒的な男性中心主義で性差別的な
組織の中では女性の目線を捨てないとのし上がれないからでしょう。
女性議員が増えて中高年男性が圧倒的な勢力ではなくなれば、女性議員
は「わきまえる」必要もなく、本来の自分を封印したり捻じ曲げたり
する必要も無く活躍できるはずです。そういう「女性議員がのびのび
活躍する環境を整える」意味でも、女性議員は増やさなければならない
のです。