2020年11月6日金曜日

憲法15条1項を持ち出して「首相には公務員の選定・罷免の権限がある」と主張する政府の初歩的な大間違いについて


 日本学術会議への人事介入の件、連日、国会では野党の追及が続いて

います。

 首相はじめ政府の答弁は「はぐらかし」に徹しているというか、文字

通り支離滅裂なものになっていて、論理でものを考えようとする人に

とってはとても忍耐の要るものになっています…。


 気になるのは、首相や官房長官がいまだに何度も何度も

「学術会議の会員の任命は、憲法第15条1項の関係で推薦された方々

を必ずそのまま任命しなければならないということではないということ

は内閣法制局の了解を得た政府の一貫した考え方です。」

と繰り返すことです。

 「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」

という規定を、政府の権限として、あらゆる公務員にそのまま適用して

いいんだ、という発想。

 以前、この考え方が初歩的な大間違いであることを書きました。→http://younglawyersfreedom.blogspot.com/2020/10/blog-post_20.html

 改めて書きますが、この15条1項は「あらゆる公務員は、もはや

天皇に奉仕する職員ではなく、国民主権国家においては究極的には

国民が任命・罷免するような立場ですよ」、という宣言です。

 天皇に尽くすのではなく国民主権原理の中で「全体の奉仕者」として

働くんですよ、という宣言は、天皇主権の国に生きてきた国民には新鮮

だったことでしょう。国民主権と結びつけるための大きな枠組みについ

ての条文を、なんにでも「公務員なんだから、国民の代表である首相が

煮るのも焼くのも自由」という言い訳のために持ち出してくるのは論外

なわけです。

 だって…じゃあ、国立大学の教授も、政党の党首も、市長も町長も、

大きく言えばみんな「公務員」ですが、これ全員、首相が自由にクビ

切れるんですか、っていう話です(-_-;)💦

 内閣法制局は、エリートであり職人集団のトップですから、15条なんて

根拠にできるわけがないことを当然知っています。知ってるのに「それっぽ

いこと言っちゃえばいい」というやり方が、ほんとうに不誠実です(まぁ、

そういう黒を白と言えと圧力かけるのは政権なのですが…)。


 11月4日の予算委員会で、日本共産党の志位和夫委員長が、この

15条についての首相の発想を斬っているので、以下、ご紹介します。


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11月4日 

衆議院予算委員会における日本共産党・志位和夫委員長の質疑(一部)


志位 総理は、呪文のように憲法15条1項を持ち出しますが、憲法

 15条1項「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有

 の権利である」は、公務員の選定・罷免は、主権者である国民の権利

 であるという一般原則を述べたものであり、内閣総理大臣に公務員の

 任免権を与えた規定ではありません。


  国民の選定・罷免権をいかに具体化するかは、国民を代表する国会に

 おいて個別の法律で定められるべきものであります。日本学術会議の

 会員の選定・罷免権は、日本学術会議法で定められており、この法律に

 違反した任命拒否こそ憲法15条違反であり、総理の弁明は天につば

 するものと言わなければなりません。

  そもそも憲法15条1項は、戦前の大日本帝国憲法が、天皇主権の

 もと、第10条で「天皇ハ……文武官ヲ任免ス」と、官吏をすべて

 「天皇の官吏」としたことが、全体主義と侵略戦争につながったこと

 の反省にたって、公務員の選定・罷免権を主権者である国民に委ねた

 ところにその核心があるんです。


  総理は、公務員の選定・罷免権をあたかも内閣総理大臣にあるかの

 ごとく、この条項を読み替えておりますが、それは内閣総理大臣が、

 主権者である国民から、公務員の選定・罷免権を簒奪(さんだつ)する

 暴挙であるといわなければなりません。

  くわえて言えば、憲法15条を持ち出した任命拒否合理化論は、憲法

 学界の通説でも何でもありません。著名な憲法学者の小林直樹氏は、

 憲法15条を持ち出した任命拒否が許されれば、どんな独裁制でも合理

 化されてしまうことになると指摘し、「憲法15条の趣旨は決して、

 このような官僚的な行政支配の基礎を用意したのではない」と厳しく

 批判しています。独裁政治に道を開くこのような法解釈は断じて認めら

 れません。