10月30日にFB投稿でご紹介した、春日部の井上市議。
LGBTのパートナーシップ条例の創設などを求める請願に対し「春日部
市にLGBTに対する差別がないことは明らか」「左翼の作戦」などと発言
していましたね…
(10月30日の記事→ https://www.facebook.com/asunojiyuu/posts/3363521643683004 )
その井上市議が、改めて、謝罪も発言の撤回も拒否した、とのこと。
● 「LGBT差別は存在しない」
問題発言の春日部市議 謝罪も撤回もせず (東京)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/67830
「差別するつもりはない」とのことですが、いうまでもなく、差別
する意思が本人にあるかどうかは、発言が差別的かどうかとは、関係
ありません。セクハラと同じようなものです。
記事の最後に「市は『相談の有無にかかわらず性的少数者は社会の
中で困難を感じていると認識している』とし、市民への啓発を引き続き
進めるとしている。」とあり、市の良識がせめてもの救いです。
井上市議は、自分がグルっと見まわした範囲で差別が見えなかったこと
をもって「市内に差別は存在しない」と思い込み、苦しみを訴える声を
排除しました。十分、差別的です。
相談窓口に相談が来ないということは、その相談窓口は利用しづらい
ということなんじゃないか、という容易に想像できることにも思いが
至りません。
自分の身の回りに性的少数者がいないということは、自分は「カミング
アウトしないでおこう」と思われているのだ、ということにも気づけませ
ん。こういう浅はかさを、市民(有権者)はどう評価するのでしょうか。
差別を許さない有権者の気持ちが一票に託されれば、おのずと、差別を
許さない議員が多く当選し、差別に「寛容」「無関心な議員の居場所は
なくなるはずなのですが。