沖縄地上戦で、牛島中将らが自決して「旧日本軍の組織的な戦闘が
終わった」とされる日です(実際は、その後も戦闘が続いて多くの死者
が出続けました)。
国体(天皇制)維持のための「捨て石」にされた沖縄は、子どもも
女性も含む20万人以上の住民が戦争に参加させられたあげく、国民を
守るはずの日本軍から自決を強いられたり、スパイ扱いで殺されたり、
悲惨という言葉では表せないほどの惨たらしい死を遂げました。
その犠牲への、日本政府の真摯な謝罪もないまま75年以上がたった
今、沖縄はやはり、「捨て石」かのように、米軍に差し出されています。
広大な土地を基地にされ、戦闘機の爆音に生活を傷つけられ、経済的
な低迷を強いられています。
米軍の性犯罪が野放いに近い状態で、心身が傷つけられる女性が後を
絶ちません。
どう見ても不可能な新基地建設を進め、莫大な予算が無駄に使われ、
取り返しのつかない環境破壊が進んでいます。
もう基地は作るなという住民の意思を無視し続け、強い意思表示に
出ようものなら平気で「土人」と暴言を吐いて不当に拘束します。
沖縄への容赦ない権力の牙は、サディスティックなまでに差別的です。
沖縄の人々が、地上戦のときから抱き続ける「見捨てられた感」
「差別されている感覚」「権力への不信」を、本土の私たちは、どれ
だけ共有できているでしょうか。
当事者の立場に立たなければ知りようがない感覚はあります。
しかし、究極的には不可能であっても、より近づきたいという学びと
想像の努力を、怠ってはいけないと思うのです。
沖縄に対して権力がむく牙は、いざとなれば誰に対してもひんむく
牙です。沖縄の次に狙われるのは、自分かもしれない。
そういう意味でも、すべての人が沖縄の犠牲を忘れてはいけません。
● 沖縄戦76年の「慰霊の日」平和を願う静かな祈り (NHK)
https://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20210623/5090014580.html