困窮して、人間らしい生活が送れない危機に立たされている人に、
最低限の(健康で文化的な最低限度の)生活を保障することは、国家
の義務です。
いうまでもなく、この生存権(25条)は、人が生まれながらに
して持っている正当な権利です。
この生存権を具体化したのが生活保護であり、病気やケガで職を
失ったり災害で家を失ったり、介護離職、DVからの避難、さまざまな
「ままならない事情」で困っている人は堂々と申請すべきものです。
この生活保護費は、まさに健康で文化的な最低限度の生活を送れる
ように設定されているものですから、これを減額するというのは、
相当な慎重な判断が求められます。人間として生きていけるギリギリ
の線ですから、命に関わります。
「安倍前政権時(2013~2015年)になされた減額は、およそ
生存権を保障しえない許されない減額だ」と、大阪府に住む受給者ら
42人が国と自治体に処分取り消しや慰謝料を求めて訴訟が起こされ、
このたび、大阪地裁は「処分は違法」とする判決を言い渡しました!
憲法違反かどうかの判断が示されなかったことは残念ですが、それ
でも生活保護基準を改定する厚生労働省の判断は、合理的でなく、
裁量権の逸脱・乱用であり違法だと認めたことは、生存権保障にとって
非常に非常に大きな意味がある判決です!
● 生活保護訴訟判決/客観性欠く減額への戒めだ (河北新報)
https://kahoku.news/articles/20210301khn000027.html
<一部抜粋>
判決は、引き下げ決定手続きの2点を問題視した。
一つは世界的な原油価格や穀物価格の高騰で「特異な物価上昇」
が起こった08年を起点に物価下落を考慮した点だ。基準額の引き
下げ幅が大きくなることにつながった。
もう一点は消費者物価指数ではなく、厚労省が独自に算定した
指数を使用したこと。厚労省の指数は、生活保護世帯で支出が少ない
テレビやパソコンなど教養娯楽用品を含む。これらの比重が大きく
なり、下げ幅が過大となった。
判決は「統計の客観的な数値や専門的知見との整合性を欠く。
裁量権の逸脱や乱用があり違法だ」と結論づけた。
今回の司法判断は同種訴訟はもちろん、困窮者への公的支援制度
にも影響を与えそうだ。
引き下げの背景には当時、生活扶助の水準が生活保護を受けて
いない世帯の生活費を上回る現象が一部で起き、批判があったことが
ある。
自民党は12年12月の衆院選で、生活保護給付水準の10%減額
を公約していた。実際の下げ幅の最大10%と奇妙に一致する。
国は引き下げを結論ありきで進めたと指摘する専門家もいる。
<抜粋終わり>
ただでさえ、かつてない不況で倒産・閉店が相次ぎ、職を失ったり
収入が絶たれたり、明日の生活の見通しすら立たない人が増えています。
そこには食事もままならない家族、子どもたちもいます。
今、その方たちを放置するのは国家の怠慢です。一体、なんのために
国家は存在するのだろう、という話です。
政府は「人間の尊厳は国家がぜったいに保障する」、その矜持を行動
で示すべきです。