2019年10月31日木曜日

川崎市の「懸念」による映画『主戦場』の上映中止 なんという忖度&萎縮!



 第25回KAWASAKIしんゆり映画祭で上映が予定されていた
映画『主戦場』について、共催の川崎市からの「懸念」を受け、
主催者が上映の中止を決めた『事件』について。


 川崎市の「懸念」の「連絡」の根底に、国への忖度が流れて
いることは言うまでもありません。
 忖度した上での、映画祭への表現介入行為。

 そしてまた、主催者がほぼ何の抵抗もなく、上映中止を決定
したという萎縮。

 「あいちトリエンナーレ2019」で見せた権力の恫喝・表現
介入は、見事に連鎖反応を見せています。


 「とりあえず憲法知っとこ!」と、日々さまざまな人権や自由
を草の根で発信している法律家として、改めて、表現の自由が
どれだけ権力に狙われやすく、回復しづらいものか、肌で感じて
います。
 そして、主権者にためらいなく刃を向く権力を目の前に、
「あぁ、だから憲法って必要なんだなぁ」と、やはり改めて、
強く、深く、実感します。


 この『事件』に対しては、すでに様々な映画人・研究者など
から批判の声が上がっています。
 若松プロダクションは、抗議の意を込めてしんゆり映画祭で
上映予定だった2作品の上映取り止めを決めたとのこと。


<若松プロダクションの声明(一部抜粋)>

http://www.wakamatsukoji.org/



 当然、我々のこの決断については様々な意見や批判もあると思い
ます。しかし、今ここで抗議の声を上げ、何らかの行動に移さなけ
れば、上映の機会さえ奪われる映画がさらに増え、観客から鑑賞の
機会をさらに奪うことになりはしないでしょうか。

 『主戦場』のミキ・デザキ監督の「表現の自由を守る努力をしな
ければ、政府の意向に沿った作品しか上映できなくなる」という
言葉を借りるまでもなく、今、ここで同じ映画の作り手として声を
上げなければ、我々もまた「表現の自由」を殺す行為に加担した
ことになってしまうのです。

 『止められるか、俺たちを』は、若松孝二監督の若き日を描いた
映画です。 若松監督は常々、「映画を武器に世界と闘う」と言って
いました。
 今、この国は表現の自由を巡る分水嶺に間違いなく立っています。
今、映画を武器に何をすべきなのか? ここで何もしなければ、
十年後二十年後に「あの時自分たちは何をしたのか?」と後悔する
ことになりはしないか? 今こそ、若松監督の言葉をもう一度確か
めたいと思います。 
 (抜粋終わり)


 この最後の問いかけ、とても共感します。
 私たちあすわかの中にも、「今何もしなければ、将来子どもから
『あの時なにをしてたの?』と問われたとき、返す言葉がない。」
という焦燥感と使命感に駆られている者は少なくありません。

 後悔したくない。自分には何ができるのか。
 日々、自分に問いかけながら、「不断の努力」を試行錯誤しています。
 

 どんどん自由が狭くなり、息苦しくなる一方の日本。
 私たちは、こんな息苦しさを選び取ったわけじゃない。
 こんな息苦しさ、望んでない。
 一人ひとりが、その思いを行動にうつせば、必ず社会は変わります。

 この『事件』についていえば、メディアにもっと報道してくれ、と
声を届けることが大事です。市民がこの事件に危機感を抱き、報道
しないメディアにももっと危機感を抱いていることを伝えましょう。