コロナ禍、「リーダーが誰か」は、自分の命を左右することなん
だな、と、肌で感じる人が少なくないのでは。
頭では分かってたけれど、ほんとうに投票って文字通り「命を
かけた選択」といっても言い過ぎじゃないな…と、思い知る感じで
はありませんか?
菅首相の姿を見ながら、なぜこんなに言葉に力がないんだろう、
とか、なぜこんなにしどろもどろな人が「切れ者」扱いされてたん
だろう、とか、不思議なことはたくさんあります。
● 「尾身さんを少し黙らせろ。後手後手に見えるじゃないか」
“やり手”のはずの菅首相、新型コロナで無力な理由 (文春オンライン)
https://bunshun.jp/articles/amp/42865?page=1
<一部抜粋>
菅は自分の意に沿わない者を敵とみなし、潰しにかかる。それは自民
党議員や官僚、メディアといったインナーサークルの住人に対してで
あって、本来、対峙すべき相手やコトに対してではない。だから菅は
昨年来、ウイルスと戦うのではなく、「GoTo」に反対する者と戦って
いる。そもそも人事権や同調圧力、恫喝を使いこなす菅の能力など、
新型コロナウイルス相手にはまったくの無力である。
<抜粋終わり>
裏方で恫喝しかしてこなかった人が、いざ矢面に立った時に、だれか
と言葉を尽くして議論できるかと言われればムリな話です。。。
権力闘争が手段ではなくて目的になってしまった人に、「目指す社会」
像はありません。
威圧して黙らせることしか技がない人が、国民の悲痛な訴えに耳を
傾けて命や暮らしを守る政策を思いつけるはずもない。
補償を!という要求に対して、まさかの「罰則」を出してくる…
おそらく、罰則しか思いつかないのでしょう。それも、この人にとって
は自然な話です。
主権者として、この国に生きる人間として、命と暮らしを安心して
託せる人ではない、というモヤモヤを、しっかり発信していきましょう。
文字どおり、命を守るために。