憲法とは、国民の自由・人権を守るために、権力の暴走を防ぐ装置です。
『檻の中のライオン』の例えでいうなら、
ライオン(権力)には檻(憲法)の中にいてもらう、という約束です。
首相・大臣はじめ権力を行使する人は皆、憲法尊重擁護義務を負います
(99条)。
この原則を、「立憲主義」といいます。
この立憲主義の原則を、実効性ある原則として命を吹き込むのか、
形だけのものにする(殺す)のかは、国民が「憲法を破る政治家は
許さない」と考えて行動するかどうか、にかかっています。
国民が常識的な人権感覚と論理でものを考える力があれば、権力を
濫用して自由や民主主義を踏みにじる政治家なんて、必ず選挙で落と
すだろう、と憲法は信じて、諸々の規定を定めているわけです。
つまり、憲法を破るタガが外れた政治家(政権)を国民が容認・放置
してしまえば、次の選挙でも、次の次の選挙でも、その政権は勝ち、
憲法は死文化してしまうでしょう。
民主主義は「治者と被治者の自同性」という言葉で表現されます。
政治家の人権感覚がおかしい、ということは、その政治家を選んだ
国民の人権感覚がおかしくなっていることを表します。
そんな国でいいわけがない、と思う人がどれだけつながり合えるか。
主権者一人ひとりが試されています。