平和について考えるとき、どうしても9条ばかりが注目されがちですが、ぜひ
24条に目を向けてみて下さい。
婚姻の自由や家庭における両性の本質的平等を定めた日本国憲法24条は、
その草案(byベアテ・シロタ・ゴードン氏)を見ると、家制度が許した父親や
夫による支配を家庭から排除する趣旨がはっきり分かります。男性(父・夫)の
暴力と支配を排除できなければ、「両性の本質的平等」も「個人の尊厳」も
到底実現しえない、という確信もまた明確です。
このことは、平和は人権であるとさえ宣言する日本国憲法の平和主義を考える
上で、とても重要な点です。
反戦非暴力の国家を作るためには、スケールの大きい国際政治で対話外交を進め
るだけでは不完全で、戦争さえなければ人はみな“平和”かと問われれば、そうでは
ないからです。
国が戦争していなくても、困窮して住む場所がなかったり、学校や会社でいじめ
られていれば、「平和」とは程遠いですよね。憲法はそのことに気づいているから、
「戦争放棄」だけではなく「平和的生存権」まで保障しているのです。
日本国憲法は「恐怖と欠乏」から免れて初めて平和のうちに生きることができる、
と前文で明かしています。どんなに武器を持たない国家に暮らしていても、家庭内
で虐待されたり暴力で支配されている限り、その人に平和は永遠に無い。
反戦非暴力な国家を実現し、平和的生存権が実現されるためには、「非暴力な
社会」が構築されなければならず、そのためには「非暴力な家庭」が「非暴力な
個人」を育てる必要があります。
家庭から「力による支配」を排除して各個人の尊厳と平等を守る24条は、反戦
非暴力・平和的生存権の実現にとっては、9条と二人三脚な重要な意味を持つのです。
性差別の根深さと平和は、ものすごい関係が深いことを、ぜひ知って下さい。
性差別に無関心な人が叫ぶ「平和」が、どれだけ空虚か、も。
* 9条だけでは反戦・非暴力な国家を作れないこと、家庭から暴力(男性による
支配)を排して尊厳が守られた非暴力な個人を育てることが必須であること―。
24条がいかに平和にとって重要か、精緻に書かれていますぜひご一読を
『右派はなぜ家族に介入したがるのか 憲法24条と9条』(大月書店)
* 憲法9条は大好きだけど24条ってなに?
実は、戦争と「国家の家族への介入」は、無関係どころか無二のペア。国家に
命を捧げられる人間を育てる上で、家族と家庭教育の統制は必須だからです。
9条改憲の陰で進む24条改憲の歩み、ぜひ知ってください。
『イマドキ家族のリアルと未来』(かもがわ出版)