「ノーベル文学賞にアメリカの女性詩人」という報道


 「ノーベル文学賞にアメリカの女性詩人」という報道のタイトルを、

いくつか見ました。

 「女流文学」という言葉が今は死語と化しているように、性別が

重要なファクターではないのに女医、女性弁護士、というようにわざ

わざ「女性〇〇」と表記されるのはなぜでしょうか。まだ「女流」を

使っている分野もあり、なぜ必要なのか立ち止まって考えてくれる

機会があるといいなと思います。


 そんな細かいことどうでもいいじゃん、という声が聞こえてきそうです。

 そうです、細かいことです。

 でも、どんな差別も、細かいことの積み重ねです。

 ちょっとした表現、ちょっとしたニュアンス、ちょっとした態度。

 それが積み重なって、いつのまにか強固なものとなる。

深く深く、社会に染み込んでいく。

 だから、細かいことを、地道に指摘して、ちょこちょこ修正かけて

いかなければならないことだと、考えます。

LGBT差別の暴言 無知は罪深いことです


 「L(レズビアン)だってG(ゲイ)だって法律で守られているという

話になれば足立区は滅んでしまう」

という足立区議の暴言について、毎日新聞のインタビュー記事がありました。


● LGBT巡り“足立区が滅ぶ”発言 炎上の自民長老議員の主張と事実誤認 (毎日)

https://news.yahoo.co.jp/articles/554c9edc8c16a2e569006fd9b73bae5749fef6fc


◆同性パートナーシップ条例のような法的な保護は不要だと主張する

理由について

 「基本的には個人の生き方だから、民法の中に(想定されて)ない

生き方だからね。一般的でない生き方を特別に擁護する必要ないでしょう。」


◆自身のLGBTへの理解について

「私のまわりにはまったくいないし、ニュースの報道の範囲しか知りません。

会ったことがない。」


◆LGBTは生まれながらの指向であることについて

 「LとGは、楽しいからと選んでいると思いますよ。それはそれで、

身近にはいないけど、そうだとしても否定も拒否もする気はないよ。」


 …あまりの言いように、正直、言葉を失います。

 同時に、多くの足立区の有権者がこの議員を支持し、当選させたという

まぎれもない事実を、他人事としてはいけませんよね。たとえ自分が

足立区民でなくても、国政では杉田水脈議員を当選させてしまっている

のですから。


 LGBTないし性的マイノリティの方々が、自分の自由意思で選んでいる

(すなわち指向ではなく嗜好だ)という理解からして、どうしようもない

無知・無学。前提がこうなると、議論の使用がありません。

 こうならないよう、せめてこれからの子どもたちには正しい知識と学び

の機会をしっかり教育課程に盛り込んでいく必要があることを再確認した

い点です。当事者の子たちが傷つかずに自己肯定できるように、また

マジョリティの子を、加害者にも、傍観者にもしたくありません。


 自分の周りにLGBTがいないことは、自分に学ぶ機会のない言い訳には

なりません。「周りにいない」と感じたら、「周りにカミングアウトして

いる人がいない」と考えるべきでしょう。正直、ここまで何のためらいも

なく差別してくる人には、そりゃあカミングアウトしたくないだろうな、

と思ってしまいます。

 それに、そばに当事者いなくても、本やメディアなどいくらでも学べる

ツールはあります。この区議さんの姿勢は、とても消極的で、知的とは

いえません。

 有権者から託されて議会に立つ議員さんの無知・無学は、ほんとうに

罪深いもので、責任放棄といっても過言ではありません。基本的な人権

の知識なら、なおさらです。

「国家予算を投じてる」は、人事に介入していい理由にはなりません

 

 日本学術会議への人事介入の件、「国家予算を投じている内閣府直轄

の機関なのだから、人事に介入するのは当たりまえ」という言説が、

ありますね。

 「国民の血税が注がれているのだから、民主的コントロールを及ぼす

必要がある」なーんて聞くと、思わず、なるほどね~なんて思ってしまう

人、少なくないと思います。


 そのポイントに対して、毎日新聞の社説の中にあるこの一節をご紹介

します。


「首相は、政府が年間約10億円の予算を支出していることや、会員が

特別職の国家公務員になることを人事権行使の理由にしている。

しかし、学術会議は一般の省庁とは異なる。予算や身分の問題と、

任命権の話は別だ。」

 

● 学術会議巡る首相発言 これでは説明にならない (毎日)

https://mainichi.jp/articles/20201007/ddm/005/070/075000c


 信濃毎日新聞の社説もまた、雄弁です。

「学術会議は政府の機関であり、年間およそ10億円の予算を投じて

いることにも菅首相は言及した。けれども、それは介入を正当化する

根拠にならない。

 公の機関として国の予算で運営を支えるのは、学問の自由を保障

するためであって、政府に従わせるためではない。政治権力からの

独立が確保されなければ、学問の自由の土台が揺らぐ。」


● 学術会議人事 首相は何も答えていない (信毎Web) https://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20201007/KT201006ETI090011000.php


 「国家予算を投じているのだから介入して当たり前」という言い分は、

それを言い出したらキリがないわけです。

 福山和人弁護士の「学術会議に国が10億出してるから人事に口出し

してよいなら、政党交付金をもらった政党の党首は総理が決められる

のか?  アホすぎる理屈だ。」というツイートは、なによりも明快で

しょう。

https://twitter.com/kaz_fukuyama/status/1313297811224489985?s=20


 というわけで、国家予算を投じているから介入して当然、という

「一見もっともらしい言説」には、警戒が必要です。

 もし周囲に、こうした「もっともらしい言説」に流されている方が

いらしたら、ぜひ上記記事やツイートをさりげなく教えてあげてください。

首相答弁の矛盾(日本語の崩壊) しつこく追及を

 

 菅首相は、内閣府でのインタビューで、1983年の政府答弁

「形だけの推薦制であって、学会の方から推薦をしていただいた者

は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」について、

「過去の国会答弁は承知しているが、学会の推薦に基づく方式から、

現在は、個々の会員の指名に基づく方式に変わっており、それぞれ

の時代の制度の中で法律に基づいて任命を行っているという考え方

は変わっていない」

 と、謎な回答をしました。


 そして今日の国会ではこれまでの任命に関する政府の解釈が変更

されたのではないかと指摘したが、三ツ林内閣府副大臣は

「(1983年の)答弁は承知しているが、考え方を変えたわけで

はない」

 と答弁しました。


 さらに、内閣法制局が衆院内閣委で、首相の任命権に関し、

1983年当時の内部資料に学術会議の推薦に基づき「全員を任命

することになっている」との記述があると答弁した、という報道。

  ↓

● 「推薦に基づき全員を任命」政府資料が存在 (共同)

 https://this.kiji.is/686413587683132513



 これらの証拠・根拠を前に、ものごとの論理を考えることが

できる私たち国民は、うろたえずにはいられないわけです。

 これまでの運用や解釈を、変えていない。

 けれども、任命を拒否した。

 これは、どう考えても矛盾しています。


 総合的・俯瞰的、という謎の言葉を投げられても、納得できるわけ

がありません。


 混乱させて疲れさせようという作戦なのか、

 ドヤ顔で言い続ければそのうち諦めるだろうという魂胆なのか、

なんにせよ、逃げずに直接、言葉を尽くして説明しないのは不誠実で、

主権者国民から権力を託されたリーダーとして、あるまじき姿です。


 説明を求めます。

 説明できないなら、撤回してください。

 マスメディアは、首相のドヤ顔(静かな恫喝)に臆せず、質問し続け

てください。国民は心から応援します。


人事介入を全力で擁護する(でも失敗する)小泉環境相



 小泉進次郎環境相が、日本学術会議への人事介入について、
 「首相が盛んに言っているのが前例踏襲の打破。当たり前に続いて
きたものを見直すべき点があるのか、問題提起される姿勢は否定され
るべきものではない」
 と述べました。。。

● 「問題提起、否定すべきでない」 学術会議任命見送りで小泉氏 (産経)
https://news.yahoo.co.jp/articles/c75d2d516e0d255513acd7a549fa604ed22a36b6



 閣僚が首相の振舞いを全力で前向きなことだと擁護したい気持ちは
伝わってきますが、やはりまったく論理的ではありません。

 菅首相は「前例踏襲でいいのか問題提起」したのではありません。
勝手に法解釈を変えて断行した、のです。憲法にも触れる重大な解釈
変更を国会で審議もせず秘密裏に準備して、いきなり断行した。
これを「問題提起」で済ませるのは、あまりにも甘いし、甘いと
いうか「何が起きたか、分かってないのですね?」と言いたくなり
ます。

 政府が「今まで青信号を“すすめ”だと前例踏襲してきたが、見直す
べき点があるのではないか」と考えて、誰にもアナウンスすること
なく、突然青信号を“止まれ”にするような乱暴なやり方が許されるで
しょうか。それを知らずに青信号で発信して取り締まられた国民が
それを怒っても「問題提起される姿勢は否定されるべきものではない」
と言い返してくる政府に、納得できますか?

 おかしな言葉遣いで、国民を翻弄しないでください。翻弄されて
ないけど。

「異論を許さない政治」→次に狙われるのは自分かもしれない、という想像


 映画界で活躍する方々が、日本学術会議への政治介入について抗議
声明を出しました。

● 「任命除外を憂慮し、怒り」 是枝裕和監督らが抗議声明 (朝日)
 https://www.asahi.com/articles/ASNB62QXZNB6UTIL001.html




 憲法23条「学問の自由(=学問コミュニティの自由)」は、
高等学術機関の自律性を保障します。政治介入は許されません。
菅首相はその理由を明かさず、排除された6名の研究者が前政権へ
批判的な立場をとっていたからでは…という想像は容易につきます
が、重要なのは「いかなる理由であれ許されない」ということです。

 高度な専門知を持っていない素人の権力者が、専門家の判断領域
に「その研究はムダ/役に立つ」「この学者は有能/無能」と口出し
すること自体が、(素人が勝手に医者に代わって診察をするのと同じ
くらい)恥ずべき・危険なものだということを、今一度確認しあい
たいと思います。
 政治の熱狂にも流されない、冷徹な第三者としてアドバイスする
専門機関は、国家の安全運転のためには必須です。高度な専門知に
よる、国民の福祉・文化・科学の発展のための冷静な政策提言は、
時に熱狂する政治を後押しすることも、警告することもあるでしょう。
よりよい社会のためのアドバイザーは、権力に翼賛してはいけない
し、盲従してもいけません(翼賛したら、アドバイザーの意味がない
ですもんね)。
 国立アカデミーである日本学術会議が内閣府の所轄であることは
「首相が人事を掌握して当たり前」な理由にはなりません。
独立していてくれなきゃ困る機関なのです。

 7年8カ月、一貫して進められた「異論を許さない政治」を、
菅政権はそのまま忠実に引き継ぎ、その勢いを強めた最初のシン
ボリックな出来事として、日本学術会議への人事介入は起きました。
異論つぶしの一貫として、まず日本学術会議を狙ったのは今となれ
ばさもありなんという感じですが、異論を許さないというのは、
議論や批判を許さないということ。民主主義を憎悪し、壊すという
ことです。


 国民がこのままこの事件を容認・スルーすれば、政権は「異論
つぶし」を続けるでしょう。次は、だれが、どこが、狙われるで
しょうか。

 そう、「次に狙われるのは自分かもしれない」と想像できるか
どうかが、大切です。

 映画人有志による抗議声明は、「次に狙われるのは映画かもしれ
ない」と想像した方々の「この事件は他人事ではない」という危機感
が生み出したものです。そのきわめて鋭敏なアンテナに、どうか一人
でも多くの人が続くよう、願わずにはいられません。

 この人事介入の事件の被害者は、私たちも含む国民全員だということ。
決して、「権力 vs 排除された6人の学者」などという小さな問題では
ないこと。その本質を忘れずに、しつこく、違和感や疑問を大切に、
発信していきませんか。

 何が起き、何がなされようとしているのか、的確な報道を望みます。

日本学術会議の人事介入 菅首相の迷インタビュー 2


 日本学術会議の人事介入について、菅首相がインタビューに応じ
ました。
 先に書いてしまいますが、これは「説明」ではありません。
 今までの「形式的な任命」という運用を覆した理由の説明を求めて
いるのに、それには結局一切答えていません。これで「はい、そう
ですか」と引き下がってはいけないのです。


● 菅首相 学術会議の任命見送り「学問の自由とは全く関係ない」(NHK)
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201005/k10012649301000.html


● 学術会議の任命拒否で菅首相「個別人事のコメント控える」
                                                   内閣記者会インタビュー (東京)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/59883?fbclid=IwAR2WdRG0vjBo1c_zJITumyPvEAQVC0N_j7UJ1IwqGAIDBuSOxNdsVWuBtQw



 「省庁再編の際に、必要性を含め、在り方について相当の議論が
行われ、その結果として、総合的、ふかん的な活動を求めることに
なった。まさに総合的、ふかん的な活動を確保する観点から、今回
の任命についても判断した」
 → 総合的?俯瞰的?
  いや…、「難解だけどきっと高レベルに政治的な話をしている
んだろう」と無理やり納得する必要ありません。
 何言ってるか、分かりません。
 国民が何言ってるか理解できるまで言葉を尽くすのが「説明責任」
ですから、臆せず、「何言ってるか分かりません。サイド説明して
下さい。」と追及しましょう。
 これまでの「形式的な任命」という何の問題もなかった運用から、
突然「総合的・俯瞰的観点から判断」することにしたのはなぜなの
か、その理由も、説明して下さい。


 「今後も丁寧に説明していく」
 → 今後「も」ではありません。
 このインタビューでの回答を「これが丁寧な説明だ」と首相に
認識させてはいけません。その認識は誤っている、と何度でも伝え
ましょう。
 何を言ってるのか分からない「謎の文字列」を残して逃げ去る
ような姿勢は、民主主義国家のリーダーとして許されません。
 

 国民が「??」のままうやむやにし、飽きるのを待つ、という
手法が、首相就任後、明らかに強まっています。

 私たちが飽き、疲れ、忘れるのを待つ。とても不誠実です。
 私たちは忘れません。ものを考える主権者として、おかしいことを
おかしいと言葉にし続けましょう。

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