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2020年9月8日火曜日
体育館でザコ寝 ― 国際水準には程遠い避難所での人権保障
避難所といえば、体育館や公民館でのザコ寝…。
大災害のたびに見る、痛ましい光景です。痛ましい、と言っている自分が、
明日は同じように被災してザコ寝しているかもしれない、そんな災害大国に
生きています。
この体育館や公民館の風景が、いかに国際水準に追いつかず、人権が保障
されていないか、諸外国と比較したことはありますか?
2018年に、あすわか大前治弁護士が寄稿したこの記事は、当時大変な
反響を呼び、今、改めて読み返しておきたいものです。ぜひぜひお読みくだ
さい。
● 自然災害大国の避難が「体育館生活」であることへの
大きな違和感 (大前治弁護士)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56477
記事の中で、「災害や紛争時の避難所について国際赤十字が提唱する
最低基準(スフィア基準)」の一部が紹介されています。
・世帯ごとに十分に覆いのある生活空間を確保する
・1人あたり3.5平方メートルの広さで、覆いのある空間を確保する
・最適な快適温度、換気と保護を提供する
・トイレは20人に1つ以上。男女別で使えること
「これは貧困地域や紛争地域にも適用される最低基準である。経済力の
豊かな日本で、この基準を遵守できないとは思われないが、実際には程遠
い。」という部分に、衝撃をうけませんか?
なぜここまで避難所のクオリティが低いままなのか、それは「救いを
求めることは、被災者の人権である」という意識が共有されていないから
だ、と大前弁護士は分析します。
自己責任論が浸透してしまっている日本ならでは、かもしれませんが、
被災者は援助を求めることを「申し訳ない」「わざわざ助けてくれる行政
やボランティアにこちらから何か要求するのはわがまま」と思ってしまっ
ているのではないでしょうか。あるいは支援する側にも「支援してあげる」
目線があるのでは。
この災害大国に生きる以上、いつでも、どこでも、誰でも災害に遭う
可能性があります。一瞬にして衣食住がめちゃめちゃになる可能性がある。
誰でも一瞬にして「弱者」になる可能性がある、ということです。
だからこそ、被災しても、国民の人間らしい暮らし(健康で文化的な
最低限度の生活)を行政は保障する義務がある。税金を払う国民の間で
も「次は自分が被災するかもしれないしお互いさまだよね」というコン
センサスも当然とられるべきでしょう。
被災者への支援ふくむ「福祉へのアクセス」を、「申し訳ない」と
ひけめに感じたり、「わがままとか怠慢とか思われたらどうしよう」と
恐怖に怯えるのは間違いです。衣食住の危機に立たされている人にそんな
思いをさせる社会に問題があります。
行政自ら「自助・共助・公助の国づくり」なんて発信するのは、責任
放棄でしかありません。
正常な人権感覚で、避難所の最低限の整備を、災害大国だからこそ進めて
ほしい。それを行政に求めることは、人間として当然のことだ、という感覚
を一人でも多くの人と共有したいですね。