2017年9月7日木曜日

やや日めくり憲法 97条(基本的人権は永久の権利)


 <日本国憲法 97条>

  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、
 人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、
 これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び
 将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利
 として信託されたものである。




「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」

「過去幾多の試練」


 とても思いのこもった言葉ですね。


 97条は、熱く語りかけるような、ハートに訴えるような趣があります。

 「めちゃめちゃ大変だったんですよ。いっぱい失敗したんですよ。で、やっと
ここまでたどり着いたんですよ。なんとかよろしくお願いしますよ。」

みたいな感じです。


 人類の歴史を遡れば、権力者のわがまま勝手によって、人間らしく生きるこ
を許されなかった人がたくさんいます。
 生まれながらに身分がきまり、
 職も選べず、
 別の場所に移り住むことも許されず、
 好きな人との結婚も許されず、
 選挙権もなく、
 ただただ言われるがままに税金を取り立てられて、
 「自分らしい人生」なんて夢見る余裕もなく人生を終えていった人
の方が多いかもしれないくらいです。

 そんな社会、おかしい! 立憲主義も民主主義も、こんな社会を変えたい
という問題意識や正義感が、編み出したものです。


 一人ひとりみんなが人間らしく生きられるように、権力を法で縛っておく、
という立憲主義憲法には、人類の叡智が詰まっているのです。



 この97条、自民党改憲草案ではどう変わっているでしょうか?

 なんと、全部削除されているのです!


 97条が削除されると、どうなるでしょうか?




 97条の意味するところは、次のようなことです。

 1.「基本的人権は・・・信託された」との表現から、人間が生まれながらに
 して天から信託されたもの、という天賦人権説、自然権思想を示している。
 2.97条は、「第10章 最高法規」の章の冒頭に置かれており、憲法が
 最高法規であることの実質的な根拠を示している(通説)


 まず、①の天賦人権説、自然権思想について。

 人権とは、人間として生まれた以上当然に天から与えられているもの、と
されています。

 この天賦人権説・自然権思想を示すのが、11条「基本的人権は…与えら
れる」と、97条「基本的人権は…信託されたもの」です。



 <日本国憲法 11条>

 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障
する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の
民に与へられる。



 11条と97条、2つあるので1つが削除されても実害はないかもしれません。

 しかし、自民党改憲草案は、11条末尾も「…永久の権利である。」に
変えています。

 その理由について、「自民党憲法改正草案Q&A」には、

 「天賦人権説に基づく規定を改める必要があるから」

と書かれています。

 つまり、自民党草案では、天賦人権説の根拠規定を2つとも無くして、天賦
人権説をやめましょう、ということになっています。


 天から与えられるのでなければ、誰が与えるのでしょうか?

 自民党改憲草案は、まず「国」があって、国が、おまえら国民に権利を
与えてやるのだ、国の都合で制限できるのだ、という考え方をしているように
読み取れます。

 「そもそも人権とは」という、憲法の出発点が、まるっきり違うのです。

 「自民党改憲草案Q&A」には、97条削除の理由について「11条と重複
しているから」という説明が書かれています。

 しかし、重複しているとしても両方削除してはいけません。

 自民党草案は、基本的人権を制約するどころか、基本的人権という概念その
ものを破壊しようとするものです。



 次に②の最高法規性について。

 最高法規性については、97条が示す「実質的な根拠」よりも、最高法規
としての「形式」「手続」を示す96条、つまり憲法改正手続が厳格である
ことの方が重要です。

 憲法は、改正しにくいからこそ最高法規なのです。

 ところが、自民党改憲草案96条は、憲法改正の発議要件「3分の2」を
「過半数」に変えており、憲法の最高法規性を大きく失わせています。


 これに加えて97条も削除しているので、ますます問題だということに
なります。


 憲法が憲法じゃないようなものに変わってしまわないように、私たちが
しっかり日々の政治を監視し、おかしいと思ったらしっかり声を上げる。
「不断の努力」が、なによりも大切です。