2016年3月17日木曜日

多様性を認める社会でいいじゃない、それが“1億総活躍社会”でしょう?


 毎日新聞の記事をご紹介します。

 「論点 家族はどこへ」
 http://mainichi.jp/articles/20160212/ddm/004/070/012000c


 「誰もがありのままの自分で生きていっていい、自分らしい人生を
歩んでいいんだよ、国家っていうのはそういう国民一人ひとりの自由
で誇りある人生を守るために作ったものなんだから。」


 これは近代国家…自由&人権、社会契約などの思想が「人類普遍
の価値観だ」と受け入れた近代の国家にとっての、究極のテーマです。
日本国憲法では、13条でこれが宣言されています(難しい言葉では
「個人の尊厳」といいます)。


 一見、誰もが「自分らしく生きていきたい。」というこのシンプルな
テーマを「そうだよねー」と受け入れているようにも思えますが、
でも、現実はなかなかそうはいっていません。

 昨年12月、最高裁大法廷は、夫婦同姓を強制する民法750条の
規定は「憲法違反ではない」とま・さ・かの判決を出しました。
 産まれた時から自分を表す氏名を、事実上、女性ばかりが、結婚を
機に変えなければならない。この「なんちゃって伝統」に苦しめられて
いる女性の声は、聞き入れられませんでした。
 
 国連から再三にわたって勧告を受け続けているこの夫婦同姓、
本来ならさっさと国会が動いて法改正すればいいだけの話です。

 なにも、「今後、すべての夫婦は結婚しても別姓で」と改正しろー
だなんて期待していません。「一緒の姓にしたい夫婦はどうぞ同姓
にしてください。別姓のままでいたい夫婦は別姓でもいいです。」と
選べる制度にしてくれればいいのです。
 これも再三訴えてきたのに…


 おかしいですね、
 「すべての女性が輝く社会」を作ろうと宣言なさっている安倍政権、
なぜ積極的に夫婦別姓を選べる制度にしようと動いてくれないので
しょうか。
 「すべての女性が、その人らしい個性を謳歌させた人生を歩める
社会を作りたい」と、本気で思っているのなら、国際的にも恥ずかしい
この夫婦同姓、一刻も早く終わらせてくれるはずなのですが…


 「1億総活躍社会」っていうのも、有識者会議のメンバーとして登用
された菊地桃子さんがおっしゃっていましたが、結局「多様性を認め
合う社会」のことなのではないでしょうか。すべての人が「その人らしさ」
を存分に発揮できる社会こそ、1億総活躍社会と名乗る資格がある
と思います。
 


 最初にご紹介した新聞記事で、18歳のモデル・藤井さんは「結婚
したら好きな相手の名字に変えたい!」と語っています。そういう人も
もちろんいるでしょう。結婚にかける思いは、人それぞれです。
 そして、どんなに相手を愛していても、自分の名前を変えることとは
別問題だと感じる人がいることも、また事実です。
 それぞれのカップルが、それぞれのスタイルの結婚をして、それぞれ
のスタイルの家族を作り上げればいい…それだけの話なのですが、
な・ぜ・か、「家族とはこういうものだ」「日本の伝統的な家族の形以外
の形を認めてはいけない」と、価値観を押しつけてくる人たちが、
少なくありません。
 最高裁判所には、そういった「名字が同じなのが夫婦っていうもんで
しょ」という「常識」をちょっと疑ってみよう、という意識があまり感じられ
ませんでした。

 八木教授に至っては、なんというか…
「「国際標準は夫婦別姓」という論も乱暴だ。グローバルスタンダードは
善なのか。文化背景の相違を認識すべきだ。」と、すべてを価値相対的
に考えるべきものだとおっしゃいますが、
 その理屈だと、
 イスラム教における石投げの刑も、
 アフリカ諸国における女性器切除の文化も、
 「良き伝統」の一言で済まされかねません。


 なにも、「みんなが持ってるから私も欲しい」というおもちゃをねだる
常套句をここで持ち出しているのではありません。
 「人間がそれぞれかけがえのない存在として、自由に生きる権利を持つ、
そしてその自由を保持するために国家が作られた。」という人類普遍の
価値観をしっかり保障していこう、と言っているのです。
そもそもそれってほんとうに「伝統」なの?というレベルから疑問ですが、
「伝統」の名の下にすべてを許しては、多様性が認められる社会はたぶん、
ほとんど実現不可能でしょう。


 おぉっと…長くなりました。
 もうちょっと聞いてみたい方、ぜひぜひ26日(土)の「24条カフェ」へ
お越し下さい☆
「女性が輝くって…うーん、なんだかなぁ」と抱えるそのモヤモヤを
スッキリさせる言葉と出会えるかもしれません!(^^)/