<記事の抜粋>
21日に行われた秋田公立美術大学の卒業式で、卒業生代表の女子
21日に行われた秋田公立美術大学の卒業式で、卒業生代表の女子
学生が謝辞の中で、陸上自衛隊新屋演習場への地上イージス配備計画に
触れ、「平和な生活を過ごせるよう願う」と述べようとしたが、大学側
の要請で取りやめた。学生は「やるせない」とこぼした。
●謝辞に「イージス」、大学が削除要請 美大生「やるせない」
https://www.sakigake.jp/news/article/20190322AK0003/
https://www.sakigake.jp/news/article/20190322AK0003/
信じがたい事件です。
権力にたてつくことなど考えるな、思っても口にするな、「モノ言う」
市民になるな、という若者への封殺。
教育機関(しかも、表現者を育てる美大!)としてあるまじき行為です。
地元に生き、愛着があるからこそ抱く不安や平和への希望を語ることの
なにが問題なのでしょう?
大学側は明言こそしませんが、イージス・アショア配備への不安が
「権力批判」であり「政治的」だと判断したからこその削除要請であること
は誰もが勘付くでしょう。
これがバカバカしい理由は、「そんなの政治的なものじゃないからおかしい」
のではなく、「政治的だからという理由で封殺するのが見当違い」なのです。
社会に生きる限り、私たちのあらゆる生活は政治につながっています。
「政治的」です。
「政治的だ!」と謎な批判をされたら、「だったらなんなの?」ということです。