2024年2月20日火曜日

教育勅語①

 教育勅語は、いざとなれば天皇のために命を差し出す「忠実なる臣民」

とはどんな人間か、を明治天皇が臣民に「教えてくださった」もの。

日本はこれを徹底的に国民に教え込み、文字通り軍国主義まっしぐらの

歴史を歩むことが「できました」。

 自由や民主主義といった思想とは真逆の世界観の文書なのです。


「教育勅語にはいいことも書いてある」などという評価は、教育勅語の本質を
知らないか、知らないふりをしているか、どちらかです。「普遍性のある部分
もある」と述べる議員もいましたが、天皇のために命を差し出す臣民になる
べしという「普遍性のない」本質部分に、抑えがたい執着がどこかあるのでは。


 「孝行」・「友愛」などは、教育勅語を使わなくても教えられますよね…?
わざわざ教育勅語を使う必要がどこに?わざわざ教育勅語、なのは、「教育勅語
でしか教えられないなにか」に抑えがたい執着があるから、としか考えられま
せん。それはまさに「いざとなれば天皇のために命を捧げる“良き臣民”であれ」
という本質。


 現代の公教育において教育勅語に出番があるとすれば、ただ1つ。敗戦まで、
国民がどのような思想に洗脳されていたか、どのような思想をベースに日本が
ファシズムの道をひた走ったか、という負の歴史的証拠としてです。それを
肯定的に用いようとする政治家の人権感覚を疑わざるを得ません。

(続く)